こんにちは!とーりーです!
今回は、少し人生論の様な話になります。
子どもが大人になるまでは、価値観の変化ってものすごくあります。言ったらいけない事が分かったり、物の価値が分かったり、親への感情が変わったり…。本当に価値観の変化が激しいです。
では、大人になってからは、価値観の変化を感じることができる人はどの位いるでしょうか?
私自身は社会人になってから、少しずつ価値観の変化を感じていましたが、その正体が何なのかを掴みきれずに10年以上過ごしていました。
価値観の重要性と、人生を幸せに過ごすために、今後どのように生きてこうと考えているのかをお伝えします。
自由を求めて公務員を目指した
私は恥ずかしながら、大学4年間でこれと言って自慢できる学びはありませんでした。しいて言うなら仲間を作ることができたくらいです。
学業もおろそかにして、卒業が危うかったこともあり、就職活動についても全く身が入らない状態。本当にダメな大学生の典型です。
授業など、決められたものに縛られるのが好きではなく、入っていたゼミも途中で脱退しました。
大学とは勉強をしにいくところなので、このような生活をして、本当に親不孝だと思いますが、私は自由でありたいという価値観を大切にしたいと思うようになります。
正直、自由をはき違えている感はありますが…。大学生時代は、ただ怠惰なだけだったのかもしれません。
しかし、ダラダラ過ごす時間もあっという間。生きていくためには、就職をしてお金を稼がないといけないという現実と向き合う時が来ます。そのような時に、市役所へ就職するという選択肢を考えました。
・アフターファイブ充実
・転勤無し
・給与も安定
私は趣味が野球観戦なので、アフターファイブで自分の時間が持てる市役所こそ、自由にはもってこいの職場だと思いました。
そこからは、落とせない単位(テスト)のために必死に授業に行き、また並行して独学で公務員の勉強もしました。
その甲斐あって、無事4年間で大学を卒業することもでき、第一志望の市役所に合格できました。
想像したより激務だった公務員生活
公務員の世界は思っていたものよりもずっと激務でした。
私が初めに配属された部署では、2~5月くらいまでが繁忙期の部署で、歓送迎会も6月に入ってからしてもらいました。
入って早々休日出勤を命ぜられ、少々面喰いましたが、社会人になりたての自分には仕事は刺激的で、当時はそれほど嫌な気持ちはしなかったことを覚えています。
とはいえ、大好きなプロ野球を十分に見れることは無く、当初のアフターファイブを充実させるという一番大切な目標が達成できないという現実を突きつけられます。
特に何も調べず、感覚だけで職場を選んだ自分が悪いのですが、年数を重ねるごとに、本当にこの職場にずっと身を置いて良いのか?と考えるようになりました。
とはいえ、暇な部署もあることを知っていたので、年に1度の異動のタイミングのたび、どうにかして暇な部署に行けないかと願っていました。
暇な部署に行けたら幸せなのか?
運よく5年目で異動が叶いました。
次の部署は残業が無い部署。正確に言うと、元々残業が多めの部署でしたが、小さな部署だったので、徐々に業務改善をしていくことで、残業を無くすことができ、アフターファイブを勝ち取ることができました。
これで、一つの目標が達成できたのですが、実は思ったほどの充実感を得ることはできませんでした。
当然、早く家に帰れるし、大好きな野球も見ることができるようになったので、心の安定感は増したように思います。
でも、何かしら満たされない気持ちがありました。その原因はイマイチ分からなかったのですが、漠然と転職した方が良いのではないかと考えだしたのもこの時です。
アフターファイブがあるという事=残業が無いという事なので、給料は激減しました。
安定=安く定まる
このワードの意味がよくわかりました。
しかし、当時の自分は結局は変化を恐れ、現状の環境を変えないという選択肢を取ります。
そうこうしてる間に、再び激務部署への異動を命じられ、転職など考える暇が無い状態に戻りました。
今死んでしまって後悔しない人生だったか
いとこの死で、人生を見つめなおす
入庁して10年が過ぎたころ、小さい頃仲良くしてもらった従姉がガンで亡くなりました。
当時闘病中のいとこにお見舞いに行きたかったのですが、多忙を理由に行くことができませんでした。今思うと、仕事なんか投げ捨てて、最期の挨拶をしておくべきだったと後悔しています。
当時していた仕事は
このように、やりがいの全く無い仕事に多くの時間を割いていました。
大切な人のお見舞いにも行けない現状を憎みましたが、今この場にいる選択肢を取ったのも自分なので、結局は自分の責任です。
歳の近い従姉の死で、死を現実のものとして考えることも増えました。今のままの仕事をしていて、自分自身にも死のタイミングが思ってたよりもずっと早く来てしまったら、きっと後悔すると思いました。
一日の多くの時間を占める仕事の時間が、我慢の時間になってはいけない。そのように強く感じるようになりました。
自分が成長できる環境に身を置きたい
市役所の仕事は自分にとっては我慢の連続でした。上にも書いたような、単純作業であったり、何のために使われるのか分からない資料を作ったり、やりがいのある仕事はあまりありませんでした。
市役所に入った時に考えていた、暇な部署に行けばハッピーになれる!という考えも、無くなりました。時間がただ無駄に過ぎていくのは、人生の浪費と考えるようになったのです。
自分が成長できる環境に身を置きたい、と考えるようになります。
このように、自分の価値観がどんどん変わっていきました。
「給料をもらうためには時間を使って我慢しないといけない」という価値観から脱却したいと考えるようになったのです。
民間転職、フリーランスの選択肢
転職エージェントに相談したこともありました。しかし、私の年齢が30代の後半という事もあり、公務員から良い条件での転職はなかなか厳しい、という現実を突きつけられました。
ただ、その時私が思ったことは、たとえ転職したとしても、会社の歯車として働く限り、公務員の時と同じような感情になる可能性も十二分にあるという事です。
そこで、フリーランスとして働くという選択肢にたどり着きました。公務員とは全く真逆の働き方と言ってもいいかもしれません。
フリーランスは本当に多種多様な働き方があります。公務員時代には考えられなかった、在宅ワークという働き方もものすごく魅力的に映りました。
そして仮にやり始めた仕事がうまくいかなかったり、自分に合わないと感じたら、会社に就職するなど、別の道も簡単に模索することができると考えました。もちろん、待遇は現在より落ちることは覚悟の上です。
フリーランスの中でも色々な職種を考えましたが、現在私が思い描いているフリーランス像は、Webライターを職にするというものです。
Webライターという仕事の魅力
公務員の仕事は、国が作る難解な文章を読み解いたり、それを分かりやすくかみ砕いて市民などに伝えるという仕事も多くあります。
比較的そのような業務は好きでしたので、Webライターの仕事にも共通するものがあると感じ、やってみたいと思うようになりました。
Webライターの仕事をするには、様々な知識をインプットして、専門性をつける必要があります。そのためには、ネット情報も重要ですが、何より書籍からの情報収集が大切になります。
恥ずかしながら、社会人になってから、読書という習慣が全く無くなっていました。Webライターを志したことにより、読書をする機会が増え、読書の楽しさに魅了されるようになりました。
生きている間に、少しでもたくさんの本を読みたい!という新たな価値観も生まれました。
まだ実績はほぼ何もありませんが、自分が成長できているという感覚があることに、とても充実感を感じています。今はまだ漠然とWebライターになりたいと思っている段階ですが、Webライターの知識をしっかりとつけた上で、近い将来、正式に公務員を退職するつもりです。
まとめ
市役所の仕事は、世の中には無くてはならないものです。それは、市役所で働く人が、通常時から、災害時まで、市民のために働くことで、市民の生活を守っているからです。
私は、市役所に入るときは、市民のために働きたい、という気持ちを強く持っていました。しかし、現実とのギャップにより、市民の生活より、自分や家族を大切にしたいと思うようになりました。
人生は有限で一度きり。しかし、多くの人がまるで永遠にそれが続くかのように毎日を過ごしています。私もそうでした。
いつかは死ぬというのは、頭の中では分かっていても、1~2年、まして今日明日に死ぬなんて言う事を現実に考えている人は少ないでしょう。
人生の大部分を占める仕事を我慢の時間にしたらいけない。
公務員からフリーランスになって自由な生き方を手に入れる。これが私にとっての幸せな生き方だと思うようになりました。もちろんフリーランスが甘い世界ではないという事は、百も承知です。
労働時間が長くなるかもしれません。でも仮に労働時間が長くなったとしても、自分で選択して働けるという自由を大切にしたいと考えています。
このブログのコンセプトです。
これからもこの価値観をベースに発信していきます。
それでは最後まで読んでいただき、ありがとうございました。一歩一歩、良い人生にしていきましょう!
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